MISSION【こころ×社会課題】

一人ひとりが取り組めることを考える

身の回りで起こることと「こころ」の関係を整理し、なにができるかを行動レベルで提案する。

社会課題は、小さなコミュニティーで起こる課題が反映されているもの。
職場や学校、家庭等での人間関係の悩みも、そのひとつです。

業界や立場によって、社会課題に対して取り組むことは様々です。
わたしは「こころ」からの視点で、課題となることを捉えた時に、どういったことが起こっていて、なにが問題で、どうすればいいのだろうと考えていました。

「悩みは、どこからやってくるのだろう」
「どうすれば、生きやすい人が増えるのだろう」

正解はひとつではないのですが、あえて、正解を出したいと思いました。

一人ひとりが取り組めることを考える

生きやすさと「愛着」の関係性

どれだけ、身体に栄養が与えられていたとしても。
たくさんの情報に恵まれていたとしても。
さみしさは人を極限まで追い詰めてしまうことがあります。

「わたしを見てほしい」「安心できる居場所がほしい」

赤ちゃんが、抱っこしてほしいと泣いてすがりつくように。
個人差はあれど、ヒトが本能的に必要としているものであるならば、赤ちゃんも子どもも大人も関係なく、つながりを求めることは避けられないように思います。

しかし現状は、その逆方向を行っている気がしてなりません。

・人様に迷惑をかけてはいけない。自立をしなければならない。
・自己犠牲は今すぐやめて、迷惑な人からは一刻も早く撤退するべきだ。
・面倒なことになるくらいなら、ひとりでいる方がマシだ。

一人ひとりに余裕が失われやすい環境があるから、こういったことが言われているのではないでしょうか。もちろん自立が必要なシーンもあれば、撤退して身を守らねばならないケースもあるし、様々な事情でひとりでいることを余儀なくされている人がいると思います。
そのうえで、さみしさが生まれる理由やきっかけに焦点を当てた時、まだまだできることがあると思いました。

「コミュニケーションによって意思疎通をはかっていく」

これが現実的に、人と人がつながるために必要なことであると考えます。

すれ違いや不完全さを補う「コミュニケーション」

本当は、安心できる居場所がほしいだけなのに。
わかりあいたいだけなのに。
どうしてうまくいかないんだろう…。

このように感じながら、これ以上どうしたらいいのかわからなくて、仕方なく、環境や人と離れることになってしまう人がいるように思いました。

がんばってもがんばっても、報われる気がしない。
これでは、あまりにも辛すぎるから。

離れることもひとつの大切な選択なのだと思います。
どうしても、心が離れてしまうことはあります。

そのうえで、それでも、この環境や人と一緒にいることができるのだとしたら。
一緒にいたい気持ちが、ほんの少しでも残っているのだとしたら。

建設的なコミュニケーションによって、関係性を築いていける可能性があります。

これは口で言うのは簡単ですが、実際は簡単なことではないと思っています。簡単なことであれば、こんなにも悩んでいる人はいないと思います。

簡単なことではないものを簡単にできると思っているから、悩みが増えてしまうような気がします。そのため、まずは、そもそも難しいものであるという認識を持つことが必要ではないでしょうか。

「できることなら一緒にいたい」
「やさしくしたいし、やさしくされたい」

動機は非常にシンプルで純粋なものなのに、実現するためには難しさがあるというのは大変もどかしく、ストレスを抱えることになっても無理はありません。

健全な欲求にまで蓋をせねばならないほど、しんどい想いをしている人がたくさんいる現実を正しく理解し、安心できる居場所をつくっていくために、現実的に実践できることを考えました。

「人のもつちからを信じ、育んでいくこと」
「結果を焦らずコツコツと積み上げていくこと」

まさにこれが、建設的なコミュニケーションの本質ではないでしょうか。
まずは次の「4つのちから」を身に着けることが、一人ひとりにできることであると考えます。

社会課題と向き合うために必要な4つのちから

この4つのちからは、「人と良好な関係性を築く」という建設的なコミュニケーションを行うために必要なものであると同時に、愛着の視点から捉えた「社会課題に向き合うために必要なちから」であると考えています。人が安心して生きられる安全基地をつくるために、積極的に育んでいきたいと思っています。

忍耐力

「ぐっとこらえるちから」は、あらゆる可能性を探索する「間(ま)」をつくりだす

ひとことで「コミュニケーション」と言っても、様々な種類があります。
ここでは、大きくふたつに分けて考えたいと思います。

1:ドッジボールコミュニケーション
2:キャッチボールコミュニケーション

言うまでもなく、建設的に関係性を築いていくためには「キャッチボールコミュニケーション」を選択することが必要なのですが、これらにはどういった違いがあるのでしょう。

簡単に言うと、これらは、目的や意図が違うのです。

ドッジボールは相手にボールをぶつけたり、逃げ切ったほうが勝ちます。
しかし、キャッチボールは勝ち負けを目的としていません。相手が受け取りやすい速度で、受け取りやすい場所へボールを投げることによって、ラリーを続けることをひとつの目的としています。時には、受け取れない速度や場所で投げ合ってしまうこともあるでしょう。それらをカバーし合うのも、キャッチボールコミュニケーションの大きな特徴です。

つまり、これを行うためには「忍耐力」が必要なのです。
感情のまま力任せにボールを投げつけたり、変なところへ投げられてすぐに怒ったり、ボールをぶつけられても仕方がないと諦めたり、やりとりが面倒になってボールを回避してしまうと、ラリーを続けることが難しくなってしまいます。

また「相手が受け取りやすいように」と考え、工夫するための「間(ま)」をつくることや、「ここへ投げてほしい」とお願いすることも必要でしょう。

自分をわかってもらうことや相手をわかろうとするには、「ぐっとこらえて」「キャッチボールをし続ける」ことを腹に決めることが大切です。これは感情論や根性論と呼ばれるようなもので、「やろうとしてできること」であるように思います。

もし、やりたいとは思うけど腰が重く感じたり、なんでそんなことしなきゃいけないの!と思われましたら、まず、次のことができるのではないでしょうか。

・嫌悪感の理由を探ってみる(専門家を頼るのもひとつです)
・なぜそれが必要なのかという、動機の部分に立ち返ってみる
・お疲れがたまっているかもしれないので、できる範囲で心身ともに休んでみる
・次にお話しする「想像力」を先に取り入れてみる

それでは、ふたつめのステップにまいりましょう。

想像力

「かもしれない」の数だけ視点が増え、対象への理解を助ける

忍耐力が必要とは言われても、これまでにさんざん「ぐっとこらえ続けてきた経緯」があるなどして、ガマンの限界に達してしまったかたもいることでしょう。

誰しも、思うようにならずにイライラすることはありますし、どうしてわからないんだ!とボールをぶつけたくなることもあります。どうせわかってもらえない…と、キャッチボールをやめたくなることもあるでしょう。

しかし、これらを実際に行動に移してしまうと、どうしてもわかり合えない現実が近づいてしまうため、まずは「がんばって、ぐっとこらえること」が必要だというお話でした。しかし、根性論以外にも、出来ることはあると思っています。

それは、「かもしれない」をいくつ見つけられるか?という現実的な試みです。つまり、どれだけ想像力を働かせることができるか?と言い換えることができます。

「なぜ、この人はイライラしているのだろう…もしかしたら○○かもしれない」
「なぜ、わたしはこんなにも悲しいのだろう…それは○○かもしれない」

こんなふうに、できるだけたくさんの可能性を探ってみてほしいと思っています。可能性の数だけ見えるものが増えていくため、対象を平面ではなく立体で捉えやすくなるからです。

これをする意味は「本当のところ」に近づくためであり、つまりそれは、根性でイヤなことをガマンするという苦しい忍耐を超えた先にある「なるほど…」という納得感を得ることを目標としています。

想像していただきたいのですが、「どうしてもわからせてやりたい!」とムキになっている時に「そういうこともあるよね」と相手から歩み寄られると、ふっと火の勢いが弱まる感覚にならないでしょうか。これが、わかり合うためのとっかかりになるということなのです。

(「無理やりガマン」と「理解からくる譲歩」は全くの別物という重要な部分を含んでいるため、これに関しては改めて詳しくお話したいと思っています)

キャッチボールをし続けるためには、やる気と体力が必要ですし、あらゆる想像を働かせるためには「間(ま)」が欠かせませんので、はじめに忍耐力のお話をしたのですが、場合によっては先に「想像力」について理解を深める方が腑に落ちやすいかもしれません。
つまり、このふたつのちからは、ほぼ同時進行で育むことが可能だと考えています。

受け容れ難いものをすぐに跳ね返したり回避するのではなく、無理やり飲み込もうとするのでもない。
どうにか余白をつくって、あらゆる可能性を拡げる試みが「忍耐力」と「想像力」を育むことではないでしょうか。これが、よく言われている表現をお借りすると「自分も相手も大切にすること」につながっていくのだと思います。

このステップを「じっくりゆっくり、忍耐強く、長期的な目線で」踏んでいくことが、みっつめの話に発展していきます。

洞察力

「真実に近い仮説を立てて慎重に確認すること」が、目の前の現実をかえていく

忍耐力と想像力を育むことが、キャッチボールコミュニケーションを行うための基礎体力だとするならば、洞察力に発展させることは「スキル」の部分にあたるのではないでしょうか。

つまり、基礎体力がある状態というのは「目の前の人をわかろうとするために歩み寄り」「自分の想いをわかってもらえるまで伝え続けること」ができることを指しており、このちからが備わっていると対人関係で大きな問題に発展しづらいと考えています。比較的、穏やかな関係性が保たれやすいように思います。

ところがこれは、お互いに…とか、みんなが…という場合の話であって、現実を見ると皆が等しく「忍耐力」「想像力」を発揮できていないことも当然ながらあるのです。

誰しも、物心(ぶっしん)ともに余裕のある時ばかりではないですし、なんらかの事情で目の前のことに必死になっているうちに、自分本位になってしまうこともあるのではないでしょうか。

そういった状態のかたとキャッチボールがしたい時、わかり合いたい気持ちの一方通行になってしまうことがあります。どうしたらいいのだろう…と、悩む人がいるのも無理はありません。
だからここで「洞察力」というスキルが活躍するのです。

「どうしてボールを受け取ってくれないのだろう…もしかしたら、腕が痛いのかな」
「以前に、思いきりボールをぶつけられたことがあって、怖いのかもしれない」
「もう放っておいてくれ!と言われたけど、どこかさみしそうにも見える」

このように、物事の背景を想像するちからを養い、目の前で起こっていることの意味を深く理解しようとすることが「洞察力」というスキルです。「起こっている現象だけに振り回されないでいられるちから」と、言い換えることもできます。

想像力との違いをあげるならば、洞察力はより真実味を帯びていると言えるかもしれません。都合の良い空想の域を出て、自分や相手のことを理解しようと歩み寄り、何通りもの可能性を考え、その傾向をつかんでいくという過程によって、想像力にエッジが立つのです。

そのため、このスキルは「忍耐力」「想像力」という基礎のちからを育む過程を繰り返してきたからこそ習得できるものと言えるでしょう。いきなり応用編を身に着けようとするのは、どうしても難しく感じてしまうのではないでしょうか。だから、基礎のステップを踏み続けることが大切なのだと思っています。

また、「精度の高い思い込み」と「真実」は別物であることも忘れてはなりません。
本当に、自分や相手にとってそれが必要なのかどうか、今なにをするべきなのか、こういったことを慎重に確認することによって、はじめて必要な答えにたどり着けるのです。そのため、洞察力はいわば「キャッチボールコミュニケーションの実践編」とも言えそうです。

洞察力が大切であることは理解できたとしても、このスキルを発揮することによってどんな恩恵がもたらされるのかを知る必要があります。具体的な目的とは、一体なんなのでしょうか。

「人の不完全さを理解し、ケアやフォローを行うため」

わたしは、このように思っています。
なんらかの事情によってキャッチボールが苦手になってしまったかたに対して、洞察力を発揮できると、少なくとも傷口に塩を塗り込むことはしなくて済みます。ついカッとなって、言わなくていいことまで言ってしまったとしても、フォローできるはずです。つまり、炎上しているものに油を注がない選択をすることや、必要な薬を選び取ることができるようになるということです。

このような地道な関わりを続けていくと、キャッチボールなんて二度とごめんだ!と思ってしまった人が、再びボールを手にする機会が訪れる…ことがあるかもしれません。絶対とは言えませんが、可能性は十分にあると思います。

「人とわかり合うことを諦めている相手に対して、わかり合おうと働きかけること」

このために、洞察力というスキルが必要なのです。

では、洞察力を身に着けると、人の悩みは本当に解決するのでしょうか。確かに、問題解決能力がアップすることに違いはないのですが、実際、そううまくいくことばかりではありません。

なぜなら、「クレバーに正しく解決すること」が、いつも正解とは限らないからです。問題の本質を見極めることが叶ったとしても、それが頭でっかちなものに過ぎなければ、人が抱える「感情」を無視してしまうことになります。

「頭ではわかっているけど納得いかない…」
「どうして、わたしばかりが…」

この不都合なモヤモヤをスッキリさせるには、どうすればいいのでしょう。
よっつめのステップに、その答えがあります。

包容力

磨き上げた経験に「やさしさのトッピング」をふりかけ、安心できる関係性をつくる

いよいよ、最終ステップです。

忍耐力、想像力をコツコツと育んできたことで、洞察力というスキルを身に着けることができました。ぐっとこらえて、自分や相手のことをたくさん想像し、真実を確認しようと試みることができるようになったなら、間違いなく「やさしさの基礎」が備わっています。

ピカピカに磨き上げられた経験は、それだけ鋭さもあります。まるで美しく研磨された宝石のように、輪郭がはっきりし、尖っている状態です。

ある人は誰かに見せびらかしたくなるかもしれないし、ある人は、お金を稼ぐ手段として使うかもしれません。もちろん、それもひとつの活かし方なのだと思いますが、つまりは「どのように使うか?」が、とっても重要になってくるのです。

ここで、そもそもの動機を思い出してほしいのです。どうして、このちからを一生懸命に育んできたのでしょうか。

「人と人がつながるために」
「安心できる居場所をつくるために」

そうです。ヒトが愛着を求める気持ちを受け容れ、安心できる居場所をたくさんつくるためには、キャッチボールのようにお互いをわかり合うためのアクションをし続ける「建設的なコミュニケーション」が必要というお話でしたね。

つまり、磨き上げてきた経験は「自分を含めたみんなにとってやさしく使うため」であるということを、いつも心の真ん中に置いておいていただきたいのです。

ぐっとこらえて、たくさん想像し、本当のところを慎重に確認したあとは「やさしさのトッピング」をふりかけてください。そのために、ピカピカに磨かれた経験を使ってください。やさしさの基礎が備わっている人には、それができます。

「どうしてわたしばかりが…と思うけど、この人と良い関係を築きたいから見守ろう」
「キャッチボールが得意な人が増えたら、きっと、生きやすい人が増えるはずだ」
「わたしのために、みんなのために、できることを一つひとつやっていこう」

これをわたしは、建設的で意図的な、美しい自己犠牲と呼んでいます。綺麗なものとは、現実的な努力によって得られるものではないでしょうか。

忍耐力。想像力。洞察力。そして、包容力。

やさしさとは意図して身にまとうものというよりも、いつのまにか自然と備わっているものではないでしょうか。辛抱強く動向を見守りながらサポートできる人が増えることで、安心してキャッチボールができる場所が増えることになります。それは言うまでもなく、安心して生きられる環境が増えることになるでしょう。

「安心できる居場所は、みんなで協力してつくるもの」

綺麗ごとは、つくるもの。

ぜひ、この4つのちからを育むことの社会的な意義を理解し、可能な人から可能な限りで、実践しあえる環境を現実的につくっていきましょう。

一人ひとりが取り組めること、まとめ

これまでのお話を要約すると、次のとおりです。

  1. ヒトが愛着を求める気持ちが社会課題と密接に関係しているという仮説を立てる
  2. 人と人を切り離すのではなく、つなげるためにできることをたくさん考える
  3. コミュニケーション能力を育むために必要な4つのちからを身に着ける

以上が、社会課題に対してできることであると考えます。


「4つのちから」について掘り下げた内容や、様々なシーンへの応用編についてもnoteで発信していきます。よろしければご覧になってください。

ayumi(あゆみ)|note
生まれての赤ちゃんのような、純真無垢な愛を大切に守り抜きましょう。やさしさを育むための「こころの知恵」を発信します。「きれいごとは、つくるもの」が合言葉です。

 

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